今日は寒くないぞ

毎日毎日洋服は何を着ようか悩みます。羽織るものを用意して服装を考えればいいかもしれないけど、ついつい朝の寒さで選んでしまう。羽織るものって邪魔に感じるんです。でも今日は朝から寒くないので薄着にしました。七分袖のもの。息子は相変わらず半袖で頑張っています。朝息子を見送りながら他の子供を見ると服装がいろいろで可笑しいです。息子のようなまだ夏って子がほとんどだけど、中には冬に片足突っ込んだみたいな格好の子もいる。中は半袖だろうけど防寒着みたいな厚い上着を着ている子もいて、学校に付く頃には汗かいてるんだろうなと想像して笑えてしまう。親も自分の服装以上に悩むんだろうなー。そんなことない?もう少し涼しくなってくれば長袖のTシャツを着せるようになるんだけどね。昨年着ていたものは多分着れないだろうから、来月にはまた洋服買わないと。もう少しお腹がへこんでくれると助かります。

今日は2箇所に電話をかけます。1つはCADの学校でもう1つはゴミ回収会社へ。乗れなくなった自転車と使えなくなった炊飯ジャーを回収してもらう為です。これも相当前から電話をかけないといけないなと思っていたのになかなかねぇ。今日は絶対にかけるぞ!こんなに気合入れる必要ないとも思うけどね。



以下は私が感じていることです。批判などは一切受け付けません。自分の考えと違うなと思う方はどうぞスルーしていってください。そして2度とお越しにならないことをお勧めします。

いじめ自殺問題が日々取り沙汰されています。子供を持つ親の立場として、子供が自ら命を絶つことはとても辛いことです。どうして救ってあげられなかったのかと一生苦しむことでしょう。体験していなくても辛さを少しは理解できます。もちろん痛みを全て理解出来るとは言いません。そんな日々の報道を見ていて思ったことを少し。

担任の先生がいじめの発端を作ったのではないかと言われる事件を見ていて、どうしてそこまで学校や先生の責任にするのだろうと思う。あそこまで親が傲慢に全てを学校の責任だと言い、訪れた学校関係者に罵声を浴びせている様子を見ると、それは違うんじゃないかと思う。もちろん何も悪くないのにいじめられることもあるだろうけど、いじめが常習化していってしまったのには同級生などのいじめに荷担した子供にも原因はあると思う。もちろん先生は知っていて黙認していたのかもしれない。でも先生だけが責任を問われることだったのかと疑問に思う。自殺した子供が頼れる場所がなかったことも要因ではないだろうか。声を荒げている両親には何の責任もないのか。子供の様子が普段と違うことに全く気が付かずに生活していた家族にも非はあるのではないか。余りにも学校ばかりを攻め立てる様子を目にするとなぜか可哀想だと思うことよりも、やりすぎなんじゃないかと思ってしまう。

優しい子だったから先生の悪口を言ったことがないと父親が発言していた。では先生のことを嫌っていなかったとしたら?先生が原因で自殺したのではないとしたら?個人を責めることはどうにも好きになれない。今の両親の行為は子供が受けた辛いことを同じように先生にやっているとは思いませんか?