感情

人のことを可哀想だと思うことは傲慢な気がして好きじゃない。でも生活している中でテレビや本を見るだけで可哀想と思うことはたくさんあって、実生活でも飛び込んでくるニュースを見ては可哀想だと感じることもとても多い。ただそう言った場合はどこか遠い環境のことだと思っているのでそんな感情もいつまでも続くわけではない。しかし、自分の知っている人や家族と関わる人でもそんな感情が芽生えてしまう存在もある。それが息子の同級生の子。

息子はその子と遊んだことがないので、たまーに息子からその子の話を聞くか、私が参観会で見たり、他のお母さんから聞いた話しかその子の状況を知る術はない。私もいつもその子を気にしているわけではないんだけど、土曜日の参観会で可哀想だなーと思ってしまったのでここで書くことにしました。可哀想だと感じることに少し申し訳ない気持ちがあるので書いてみようかなと。

今はどこの学校でもそうなのかもしれないけど、息子の学校では月に1度程度学校で親が見学する行事があります。参観会とは別のものだったりするので仕事をしている人は参加されないことが多いです。私は暇は主婦なので全て参加しています。息子も私が行くのは当然だと思っているので面倒な時もあるけど仕方ないかなと思っています。そんなわけで季節毎に行っているわけですが、いつだったか冬の寒い時に体育館で行った催しで半袖だった男の子がいました。私だけでなく保護者は厚い上着を着ていたし、子供達だってかなり厚着をしている時期でした。それだけに真っ白な顔をして半袖姿の子は目に付いたわけです。その日は夫に半袖の子がいてさーなんて話をしたんですよ。私が小学生の頃はいつまで半袖でいられるか頑張るなんて子がいたからそんな感じかなーなんて言って。息子に聞くといつもそうだよと言うので家の方針なのかなーとも思いました。で、土曜日の参観会でその子を見かけたらその時と同じTシャツを着ていました。同じTシャツだからってことではなくて、やっぱり半袖だったってことが何となく気になってしまったんですよね。隣りにいた他のお母さんに半袖で寒くないのかなぁ?なんて話を振ってみると、その人が言うにはその子のお母さんが亡くなってしまったという話でした。亡くなったことは聞いたことがあります。でもそれと半袖は関係ないんじゃないの?って思うのよね。詳しく聞いてみるとその子の家はもともと母子家庭だったそうで、今はお母さんの実家で祖父母が面倒を見ているということです。だから洋服がどこにあるか分からないんじゃないかって言うんだけど、それは変でしょー。買うでしょ?普通。夫は年寄りだから半袖にさせてるんじゃないかって言うんだけど、とにかく見ていて可哀想になっちゃってね。顔は真っ白でちょっと病弱な感じの子なのです。運動面も余り出来るとは言えないので何かを達成する時にはその子が出来て全員出来るようになったんだよと息子から聞いたことが何回もあります。話す声もとても小さくて、土曜日の参観会では1人1人が発表をすることになっていたのですが、おどおどした感じで人前で話をするのが苦手な様子でした。もしかしたら私がそういう目で見てしまっているのかもしれないけど。

同じクラスで生活する同士でも生活環境は全然違うんだなーと自分が小さい頃に感じたことを改めて感じました。息子とその子では悩みも全然違うだろうし、精神面でも強さが全然違うんだろうなとも。

ああ、こんな風に何もしてあげるわけでもないのに可哀想だと感じてしまう自分の傲慢さが恥ずかしいですが、土曜日の参観会で感じたことを書いてみました。息子がわがままで甘えん坊で自分の思ったことを口にしてしまういかにも子供って感じの子でもそうやって育ってくれていることにとても満足しています。見たくなくても見えてくる醜い世界で過ごす時間の方が明らかに多いわけだから、純粋な気持ちでいられる時間を大切にしてあげたいと思うのです。

何だかまとまらなくなってしまったのでおしまい。